頼朝以前の鎌倉

1.後期旧石器時代
●大船の粟船山からナイフ形の石器
2.縄文時代
●縄文時代前期は暖かく、旧石器時代以来地面を覆っていた氷が解けて海水面が上昇したので(「縄文海進」)、市内中心部の低地には遺跡がなく、北部の関谷など比較的海抜の高いところに集落がある(関谷東勝院遺跡など)
●中期以降海岸線が後退し、陸地が広がってくると、荏柄天神社や西御門の山裾に人が住むようになる。
3.弥生時代
鶴岡八幡宮の東側、のちに鎌倉幕府が置かれる場所の南半部に中期後半~後期の大きな集落があった。なお関東に弥生文化が入ってくるのは中期以降
4.古墳時代
市内各地に集落が形成される
海岸砂丘地帯には古墳時代後期の群集群があった(下向原古墳群)
5.奈良時代~平安時代前期
市内のほぼ全域に集落があった
奈良時代から平安時代中期ごろまで奈良・京都王権の地方役所である相模国(神奈川県の大半)鎌倉郡役所(=郡衙)が現在の御成小学校のあたりにあった
一般社団法人鎌倉・中世文化研究センター
所長