鎌倉時代の日本列島

1.東アジア社会の中で

二つの内海 - 日本海と東シナ海を貿易船が行きかう

 → 中国を中心とした東アジア文化圏のただなかにある

2.武士と町人の出現

鎌倉時代(平安時代後期から始まる「中世」の前期)は日本各地に普通の人たち(職人や商人)が集まって町ができる時代

  鎌倉はもともと武士が集まってできた町

  → そこに普通の人たちが集まってきた

3.生活における中世的風景の出現―何が変ったのだろうか

●竪穴住居(地面を四角形や丸形に掘りくぼめて屋根をかける家)から掘立柱式の平地住居(地面に柱を立てて少し浮かせた床をはった家)へ/かまど(土の床にすえつけた煮炊き用の施設)からいろり(板の床を四角く掘って作った煮炊きの施設)へ

 ⇒ 釜(かまどに掛けるご飯炊き用の器)から鍋(いろりにかける煮炊き用の器)へ=「蒸す」から「煮る」へ

●焼き物の発展→つぼ・かめ・すり鉢セットの出現

 ⇒ 「ためる」・「おろす」・「つぶす」という料理の方法が可能に

●ふだん使う食器への中国製品の進出/貨幣経済(お金でものを買う生活)のはじまり

 ⇒ 日本は中国(当時は宋)を中心とした東アジア世界経済圏の中にあった

●日本列島を一周する海上交通網ができあがる

 ⇒ 物資の遠距離移動が可能に―長崎の石鍋が東北に/熊本の砥石が青森に

●商人と職人を中心とした町ができる

 ⇒ 「町」(都市的な場)の出現・「村」との交流システム(例えば町からは人の排せつ物を肥料として周辺の村に運び、逆に村からは野菜を入手する)

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