市民と文化財

1980 年代から 90 年代にかけて、西洋風な街並みや遊興施設を売り物にした観光地が各地に現われ、爆発的な人気を博したことがあった。しかし、それらの多くはいわゆる「バブル経済の崩壊」とともに急速に衰え、廃業したり、無残に寂れた家並みを晒したりすることとなった。歴史性の欠如した場所は、いつとき人気を集めてもたいていは一過性のものに終わる。その一方で、奈良・京都・鎌倉など古くからの歴史ある町は、依然として国内外からの観光客が絶えることはない。世界の観光地のほとんどは、自然景観でなければ、歴史性によって成り立っていることがわかる。遺跡や由緒ある街並みには人を招き寄せる力があるのだ。
歴史的風景を風土の中に再生し、人々に親しまれるようにすることは、地域の人々を刺激し、高齢化した社会に再生の活力を与える。私の専門とする考古学は、文字通り地下に埋もれた埋蔵文化財を現前させ、地上にある石垣などの構築物に新たな意味を見出す学問である。私自身は、日本考古学協会の中の埋蔵文化財保護対策委員会の委員を長くやっており、各地の遺跡保存運動に関わってきた。またおもな研究対象が中世都市鎌倉なので、当地の遺跡保護活動にもしばしば携わってきた。
開発と文化財保護はしばしば対立する。なぜこんなことが起きるのか。
遺跡発掘調査は大きく二つに分けられる。一つは研究者が自分の学問的興味にもとづいて任意の場所を調査したり、自治体が整備のために指定史跡を継続的に調査するもの。もう一つは建物が建ったり道路が作られたりするとき、その工事栫削によって遺跡が壊されるのであれば、それがどういうものであったか、できる限り詳細に調査して記録を残すもの。の二つである。前者は「学術調査」といい、調査後に遺跡は埋め戻されて保護される。調査経費は公費や各種の補助金でまかなわれる。後者は「緊急調査」とか「行政調査」などと呼ばれ、たいていの場合調査後に遺跡は消滅する。調査経費は、個人住宅や小規模開発を除き、事業者の負担となる。これを「原因者負担」とか「事業者負担」という。実は日本でおこなわれる遺跡発掘調査の 99%以上は後者である。そして、遺跡破壊と保護のせめぎ合いが起きるのは、つねにこのときである。
どうすれば遺跡・文化財を守ることができるか。開発事業主にとっては保護の主張は理不尽に思えるだろう。みずから調査費用を負担した挙句、その根拠となった開発が阻害されるからだ。しかし、地権者といえども、地下の遺跡までその人の所有物ではない。地表面の所有者がどんなに移り変わろうが、遺跡はるるか昔からそこにある。たまたま最近その土地を手に入れたからといって、地下の遺跡まで地権者がほしいままにすることはできない。文化財は誰か個人のものではないからである。よく言われる「国民共有の財産」の意味はそこある。したがって、個人の希望を優先して遺跡を壊すことになれば、その責任において、それがどういうものであったかを詳細に調べ、国民に公開する義務を負う。それが「原因者負担」の論理である。
開発のために調査経費を負担した事業者に設計変更を納得させるのは容易ではないし、道義上からも議論が必要だろう。だが、文化財を保護し、活用することが開発よりも有用だと事業者が思い到れば、遺跡は残る。それにはまず市民がその遺跡(文化財)を町にとってかけがえのないものと感じ、それを行政と共有した上で事業者を粘り強く説得することが必要である。とすれば、何より重要なのは文化財についての市民意識の向上であろう。文化・文化財保護活動に終わりはない。文化財をどう活かすのか。それはつまりは、どういう国のあり方を目指すのか、ということでもある。これについて国民的議論が求められよう。
一般社団法人鎌倉・中世文化研究センター
所長